2017.01.08【高麗山】報告 保倉L | 東京ハイキング協会

2017.01.08【高麗山】報告 保倉L



実施日:平成29年01月08日(日)  曇りのち雨 一般弱
リーダー:保倉 惠美子
協力リーダー:辰巳 哲夫
サブリーダー:岩間 英之(投稿者) 金子 敬
参加リーダー: 渡邊 幸一
参加者:10名(男性5名 女性5名)
コース:大磯駅9時31分着 歩行開始9:45→化粧坂(ケワイ)→高来神社(タカク)10:10→高麗山(コマヤマ)*東天照経由11:00→ハ俵山(ハッピョウヤマ)11:10→浅間山11:30→湘南平11:50(昼食)12:20→善兵衛池→旧島崎藤村邸13:05→大磯駅(解散)13:20
行動時間:3時間25分  実歩時間2時間10分


9:40大磯駅近くのふれあい広場でミーティング&体操

コスモスが咲いていました。

スイセン&ロウバイ

旧東海道を歩く

化粧坂(ケワイザカ)の案内板を見る
「化粧」を「ケショウ」と読むとそれは現在の意味の通りに「白粉でお化粧」の意味であるが、古くは「ケワイ」とも読み、その場合は「身だしなみを整える」と言う意味に使われる。







化粧井戸の案内板を見る
『曽我物語』の主人公、兄の曽我十郎の恋人である虎女。
虎女は17歳で大磯の菊鶴という長者にもらいうけられ遊女になりました。 当時の遊女とは江戸時代のような零落した女性が行き着く暗いイメージではなく、むしろ知識人であり歌舞などの技芸を厳しく躾られ、時には教養も身につけた女性たちであり、神聖な存在として巫女の代わりをするようなこともありました。虎女は十郎が仇討ちの本望を遂げ命を落とすまでの2年間及び63歳で生涯を閉じるまでの晩年を大磯の地で暮らしています。
その虎女が化粧をする際に使用した井戸、それが化粧坂の東海道松並木にある化粧井戸です。



旧東海道沿いに水車のあるそば処

虚空蔵堂

10:10高来神社の大鳥居と高麗山
高来寺
717年僧行基菩薩がこの地を訪れ、高来山に登って千手観音像を本地仏として創建したとある。

高麗寺
鎌倉時代になり朝鮮半島で高麗王朝が繁栄し、朝鮮を高麗と呼んでいた。 この頃より高麗寺と呼ばれるようになる。

高麗神社
明治元年の神仏分離によって、高麗寺は特定の檀家を持っていなかったのと東照権現を祀ってあったため廃寺となった。寺の一切の仏像関係は、現在の慶覚院に移された。

高来神社
明治30年高来神社へと改称。









10:25高来神社を後に高麗山へ


今日は東天照経由で高麗山頂へ



高麗山頂へ最後の急登

11:00高麗山頂

11:10八俵山

浅間山へ

浅間山への山道にスイセンが沢山咲いていました。

11:30浅間神社





11:50湘南平到着

湘南平ベンチで昼食(11:50~12:20)





湘南平から相模湾方向(曇りで視界不良)

湘南平から丹沢方向

12:30湘南平を後に下山

下山途中で醤油樽?で作った何か?

紅葉も残っていました。

善兵衛池:この辺りは水が乏しく荒れた山田であった。 土地の人望があった善人善兵衛はその困窮を聞いて農地の開発を志し、すべて自分で事業を行った。 1600人の労力をかけて東西24m-南北16m-深さ4.5mの用水池を作りました。

東海道線を潜るガードにある絵(大磯中学生作)

13:05旧島崎藤村邸
昭和16年1月14日、「左義長」を見に来磯した藤村は、温暖なこの地が非常に気に入り、
春には、台町のこの家に住むようになり、71歳で永眠するまでの2年余この地で過ごしました。昭和18年8月22日、大磯の地で永眠。





趣のある門(草の生えた屋根)



13:20大磯駅(解散)

 

参加者の皆様、寒い中のご参加ありがとうございました。展望もなく残念でしたが、雨の降りだしが下山後だったのはラッキーでした。今年も宜しくお願いいたします。

保倉 惠美子

 

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